「嗤う伊右衛門」でも感じられた、怪談を別の角度から切り取ったラブストーリーに再び浸る事が出来ました。
四谷怪談を再構築した「嗤う伊右衛門」で新しい怪談の捉え方を知り、「数えずの井戸」では番町皿屋敷を再発見した感覚を味わうことに。
所々に出てくる井戸のメタファー、表裏の存在、極端に不器用な者たちが織り成す、それぞれの綻びの物語。
あまり書いたところで実際に読むに勝る表現などないわけなのでアレですが、とにかく本が分厚いのでカバンが重かったこと。
しかしこの「数えずの井戸」は上毛新聞をはじめとする地方紙での新聞連載だったもので、ずっと読みたかったのに読めずにいたため電車の中でも夢中になって読みました。
まぁ京極先生の本は大概分厚くてずっと読んでると腕が筋肉痛になりそうなんですが。
中央公論社「数えずの井戸」特設サイト
さて3月には「冥談」が出ます。公式サイトによると、今年は京極イヤーになるとか。楽しみです。
あ、ちなみに多くの人が誤解されているようですが、ほとんどの京極先生の本にはお化けや妖怪の類は出ませんよ。