2010年2月12日金曜日

数えずの井戸

京極夏彦さんの新作「数えずの井戸」を読み終えました。
「嗤う伊右衛門」でも感じられた、怪談を別の角度から切り取ったラブストーリーに再び浸る事が出来ました。

四谷怪談を再構築した「嗤う伊右衛門」で新しい怪談の捉え方を知り、「数えずの井戸」では番町皿屋敷を再発見した感覚を味わうことに。
所々に出てくる井戸のメタファー、表裏の存在、極端に不器用な者たちが織り成す、それぞれの綻びの物語。
あまり書いたところで実際に読むに勝る表現などないわけなのでアレですが、とにかく本が分厚いのでカバンが重かったこと。
しかしこの「数えずの井戸」は上毛新聞をはじめとする地方紙での新聞連載だったもので、ずっと読みたかったのに読めずにいたため電車の中でも夢中になって読みました。
まぁ京極先生の本は大概分厚くてずっと読んでると腕が筋肉痛になりそうなんですが。

中央公論社「数えずの井戸」特設サイト

さて3月には「冥談」が出ます。公式サイトによると、今年は京極イヤーになるとか。楽しみです。

あ、ちなみに多くの人が誤解されているようですが、ほとんどの京極先生の本にはお化けや妖怪の類は出ませんよ。




2010年2月8日月曜日

ひとまずさらば、iPod touch

明日の午前中にクロネコヤマトさんが集荷に来ます。
俺のiPod touchを持って行っちゃいます。
Appleのサポートセンター行きです。
といっても、別に故障したわけではありません。
2月10日でAppleCare Protection Planが丸2年となり、期限が切れてしまうので、バッテリー交換として新しいモノに丸ごと交換してもらうのです。
AppleStoreに持って行って交換でも良いのですが、俺のiPod touchは刻印を入れてあって、直営店でも交換できるのですが刻印なしになってしまうのです。
目に見えてバッテリーの持ちが悪くなってきたという程の事もないのですが、確かに最初の頃よりは充電の頻度が上がってきました。それでも週に1回もMacにつながない程度。
通勤と帰宅にかかる1時間強しか使ってないのでそんなもんでしょう。

iPodとiPhoneのAppleCareは故障しなくても2年ギリギリになったらバッテリー交換で本体交換してくれるので、それだけで軽く元が取れるのでオススメですね。
MacBook ProのAppleCareもバッテリー交換対象にしてくれたらええのにね。
さて、一応復元して中身消しました。
明日からおそらく1週間くらいすると新しいのが手元に届くはずなのですが、その間はiPhoneを使うかiPod shuffleを使うか考え中。
でもやっぱりBang & Olufsenのヘッドフォンを使いたいのでiPhoneかなぁ。
あ、替えの保護フィルム買わねば。ついでにケースも変えたいところ。うー、また金がかかる…。

2010年2月6日土曜日

最愛のミュージシャン、Nuno Bettencourt

Blogの連日更新でネタ切れというかゆっくり書けてないので深く考えてない内容ばかりなのですが、ちょっと過去の投稿を見てみたところ意外な事にあまり音楽の事を書いてないのに気が付いたので、音楽の話題をば。


それは高校生の頃の事でした。
当時仲の良かった後輩ドラマーがギターで弾いた曲。
何だか心に残ったメロディ。
CDを聴いて、カッコいいと思って、何度も何度も聴いた。
もうCDなのに擦り切れるんじゃないかというくらい聴いた。
そのアルバムは「Pornograffitti」というタイトルで、Extremeの2ndアルバムでした。
その頃よく聴いていたのはHelloweenやMegadeth、NirvanaやManic Street Preachersが出てきてハマってた頃です。
当時は洋楽RockからHipHop、R&Bや日本のロック・歌謡曲まで色んなジャンルを聴いてたつもりでした。
まぁ今思えばかなり幅狭いもんですが、俺の住んでた田舎では洋楽を聴く友人が周りに全然いなくて、好きなミュージシャンの話題は友人たちとはかなりズレてました。
基本的にはRockが好きで、ハードな方が好みでした。今でも変わってませんが。
その中でもExtremeの、Nunoのギターサウンドは別格でした。心の底に響き、刻まれました。
聴けば聴くほどそのギターリフに惹かれ、何度聴いてもその新鮮さに魅了されました。
そして今聴いてもその思いは変わりません。今日も通勤・帰宅時にiPodで聴いてました。


俺の人生において非常に重要な位置を占めるミュージシャン、Nuno Bettencourt。
ギターのテクニックはもちろん、作曲面においてかなり俺の心の深い部分を突いてきます。
来日したら必ず行けるだけ観に行ってます。
Extreme脱退後のソロも、Mourning WidowsもPopulation 1もGuitar WarsもDramagodsも2008年の再結成ライヴも東京近郊の公演は全て行ってますが金かかるんだこれが。
出来ればアメリカに観に行きたいんですが、残念ながらそこまでのお金はありません。
再結成後のアルバムも気に入ってるし、どうやらまだ活動続けてるみたいだし、またニューアルバム作ったり来日したりしてくれることでしょう。
いやー楽しみ楽しみ。
しかしNunoの10分の1でいいからギター弾けるようになりたいなー。


想像力が生み出す最高の贈り物

本を読むのが好きで、その所為で目が悪くなったと思っている程に子供の頃から本を読んでいました。
マンガも好きですが、アニメはあまり見ません。
きっと本の文章の隙間、マンガのコマの間にある部分を想像して楽しんでいるのではないかと思います。
想像力は大切です。

俺が大好きな言葉があります。
「親切心は想像力から生まれる」
これはミュージシャンのカルロス・サンタナの言葉(のうろ覚え)ですが、本当に正しいと思います。
相手の身になって考えることは想像力なくしては出来ません。
ゆとり教育の弊害だ何だと言われていますが、想像力の欠如は人間性の危機です。
逆に、勉強が出来なくても想像力豊かな人間は素晴らしい人生を送ることが出来るはず。
そんな社会であるべきです。

なんて偉くも何ともない俺が偉そうな事を書いてみましたが、近頃のテレビ番組や本などは説明が多すぎて、想像力に頼らずに簡単に分かれば良い、とされていそうなモノが多すぎると思います。
トラブルが起こったら人の所為にして、説明がなかったのが悪いとか、最初に言わなかったからこんなことになったとか。
社会は弱者を守るべきだとは思いますが、過保護にすることによってどんどん弱くなっていくのは本末転倒だと思います。

でも身近にいる子供を見てると、そんな事は思い過ごしだと感じる程に子供の想像力に驚かされるんですけどね。
大人になる=想像力がなくなる、ではいけないのですが。あと独りよがりの妄想にも気を付けましょう。何事もやりすぎ注意。過ぎたるは猶及ばざるが如しですね。

…5日連続で更新するとこのようにネタ切れで苦し紛れの訳の分からないブログになってしまうわけです。

2010年2月4日木曜日

MacBook Proがやってきた

もう1ヶ月以上前のことですが、我が家にMacBook Proがやってきました。
それまではPowerMac G5がメインマシン、友人からもらったPowerBook G4がサブマシンとして稼働しておりました。
G5は5年以上前に購入したマシンとはいえ2.0GHz Dualのパワーと拡張性はまだまだ現役としてもバリバリ使えるスペック。
しかしSnow Leopardの発表によりPowerPCプロセッサが過去の遺物となり、もはやこれまでかと思いながら使っていましたが、仕事柄最新のOSが使えないのは辛いし持ち運びが可能でハイスペックなMacBook Proに憧れる日々が過ぎていきました。

MacがIntel化されてから我が家がIntel化の波に飲まれてしまうまで約4年。
まさかとは思っていましたが遂にPowerPCが見捨てられるとは。
68系Macからのユーザーとして、PPCへの移行の頃はこんな寂しい感情はなかったはず。
複雑な思いに駆られながらも、やはり新しいマシンは嬉しい。そして実際に使ってみると、速いこと速いこと。
Snow Leopardやっぱり速くて便利で賢い。使い易い。
家の中でも持ち運んで、実家にも持って行って、家族にも大好評で、実家の兄夫婦がiMac購入を決断して、姪っ子とiChat AVで遊んで、楽しいことばかり。
しかし安くなりました。Proが付くのに10万ちょい。名前はあんまり気に入らないが、めちゃめちゃお気に入りのマシンとなりました。

買ったのは13インチで2.53GHz、RAMが4GBのモデル。見栄えを考えてUSキーです。しばらく手放せません。



2010年2月3日水曜日

節分の日

今日は節分の日でありました。
節分とは文字通り節の分け目、春夏秋冬の区切りです。
だから年に4回あって、立春・立夏・立秋・立冬の前日が節分となります。
最も有名な節分は立春である2月4日の前日、2月3日で豆まきをしますね。
この日は関西では恵方巻といって、太巻きを恵方を向いて目を閉じ一言も発さずに1本食べ切るという習わしがあります。
近年では関東地方でもその習わしにあやかってブームとなってきていますが、結局は関係業界の販促です。
日本では2月と8月は景気が悪いので、バレンタインデーのように業界がブームを作ろうと必死なのかもしれません。
さて実際に恵方巻を習わし通りに食べ切ろうとすると、普通の太巻きでは顎も疲れるしお腹いっぱいになるし、けっこう大変です。
もしかして関東ではこの作法に則って食べることがあまり考えられていないサイズなのだろうかと思うのですが、昔はこのサイズでも平気で食べていたような気もします。
季節行事の度に年を取った事を実感出来るというのもまた一興、とプラス思考に取ってみることにしました。

2010年2月2日火曜日

快進撃を続けるバルサと阪神タイガースの共通点

以前このブログでも取り上げたが、今シーズンのFCバルセロナは恐ろしく強い。
いや先シーズンから強い。何せ史上初だらけの6冠である。
今シーズンもリーガでの無敗記録を更新中。
このセンセーショナルなバルサの秘密は数多くあるはずなのだが、その中でもやはり一番の要因は監督であろう。
ペップ・グアルディオラは監督就任の最初の年からバルサを快進撃せしめ、選手時代と同様またはそれ以上にその名前を世界中に轟かせた。
当然、素晴らしい選手たちも揃っているがバルサという哲学と美学を持ったチームがあり、それを実践する監督がいるからこそ出来る戦術があり、その哲学と美学が間違っていないという証明が今の快進撃である。
有名選手を高額な移籍金とサラリーを払って世界中からかき集め、白いユニフォームを売る事で収入としてはおそらく成功してはいるが戦術にまとまりがなく無様な試合をしてばっかりのチームもある。
日本のプロ野球で言えば読売という名がすぐ浮かぶが、まだ可愛いもんである。

ここでバルセロナと大阪の共通点を挙げてみる。
バルセロナのあるカタルーニャ州はスペインで独立運動が盛んな地域である。
中央のマドリッド=政府に対して、非常に大きな敵対心を持っているとのこと。
だからレアル・マドリーを倒す事はただ単に好きなチームが嫌いなチームに勝つ以上の意味を持っている。
日本人には理解が難しい「モルボ」という言葉があるが、スペイン内戦やその後のフランコの独裁政権といった歴史的背景から生まれた言葉のようだ。
関西弁でこの言葉に相当する単語は思い当たらないが、やはり大阪人も東京=政府に対する敵対心を持っている人が多い。
やはり阪神が読売(阪神ファンは「巨人」という呼び方を嫌う。だって正式球団名は「読売ジャイアンツ」で、巨人なんて存在せーへんやろ。)を倒す事は庶民が政府をやっつけるという構図を想像させるのだ。
俺はそれが理由でバルサが好きになったわけではないが、きっと心のどこかでそういった感情が動いているのではないかと思う。
阪神もバルサのように哲学をはっきりとさせてくれればもっと強くなり、もっと好きになるだろう。
まぁそのためには長い年月が必要となるのだが…。

2010年2月1日月曜日

じんわりほんわりくすくす

昔からマンガが好きで、週刊少年ジャンプではキャプテン翼の翼くんがまだ小さい頃から連載で読んでいた。
その頃のキン肉マンはオナラで空を飛ぶギャグマンガだった。
まだジャンプよりもチャンピオンの方が売れていた時代かもしれない。
チャンピオンでは手塚治虫のブラック・ジャックを連載していた。
今でも連載が続いているのはこち亀くらいか。
高校から大学の頃に少年ジャンプをやっと卒業し、中学くらいから読み始めたヤングジャンプとビッグコミックスピリッツは大学卒業まで読み続けた。
大学を卒業後、カナダに留学したのでそれをきっかけにヤンジャンもスピリッツも卒業。
と思ったら帰国してヤンジャン復活、モーニングも追加。ヤングマガジンUPPERSってのも創刊から休刊まで読んでたな。
今は毎週ヤンジャンとモーニングを木曜日にコンビニで買って帰っている。
毎週買ってるので単行本は基本的に買わない。
単行本で買うのはヤンジャンとモーニング以外で気になった本だけ。
でも思わず単行本で買ってしまったマンガがある。
読み始めた頃はふふん、と笑ってさらっと読んでたのだが、回を重ねるうちに面白さが分かってきた気がして単行本の購入を決意。
確かにじわじわくる笑いで、癒し系のようにも見えるがしかしセリフの色々な箇所に人間の、いや男の純粋な気持ちというか願望・欲望・葛藤が表現されており読めば読むほど癖になるという感じ。いやこれは褒めすぎか。
表現力が稚拙なように見せているが実は全て計算されている、というのも過大評価か。
何せつかみどころがないが笑わずにはいられないマンガである。

「僕の小規模な生活」

ミーハーなマンガではないが興味を持った方はぜひご一読を。